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四街道の歴史 よもやま話4

更新:2017年4月10日


手繰川(萱橋から内黒田)

手繰川と小名木川の恵み

印旛沼と東京湾を結ぶ交通の要所

市内の遺跡総数は200カ所以上確認されており、印旛沼に注ぐ手繰川、鹿島川支流の小名木川の流域沿いに集中しています。市南部は東京湾に注ぐ都川の上流域に近く、分水嶺のような状況を示しています。このように市域は印旛沼と東京湾を結ぶ交通の要所に位置しています。

四街道町全図(昭和30年)市北部河川補足の写真
四街道町全図(昭和30年)市北部河川補足

四街道町全図(昭和30年)市南部河川補足の写真
四街道町全図(昭和30年)市南部河川補足

内黒田遺跡群

内黒田遺跡群は、昭和60年3月から昭和62年3月までの2年間に亘って、千葉県文化財センターによる発掘調査が行われました。北から池花遺跡・池花南遺跡・大割遺跡で構成され、池花南遺跡からは旧石器時代の環状ブロックと平成7年に県指定有形文化財(考古資料)となった石器、池花遺跡では石槍製作跡などが注目されています。

旧石器時代の遺跡は関東地方を中心に全国で120カ所(102遺跡)と近年増加しています。千葉県では36遺跡確認されており、そのうち四街道市内は物井・池花地区で4カ所と県内でも有数の遺跡数を誇っています。石器を作るための石材は千葉県では限定的で、多くの石材は北関東や信州・伊豆・神津島などの遠く離れた地域から入手しており、広範囲に及ぶ旧石器人の移動や交流が伺えます。

集落の規模が大きくなる古墳時代後期以降、鹿島川や手繰川最上流域(物井・千代田・池花)には100基以上の古墳が築かれ、13基の円墳で構成される池花古墳群は、物井古墳群の西端に位置しています。その中のSX-02号古墳では、メノウや水晶製の勾玉・切子玉などの玉類や鉄製品が埋葬施設(横穴式石室)から出土、複数の須恵器や赤彩された土師器も供献されており、中小首長層の古墳と考えられます。

池花南遺跡出土石器(県指定有形文化財)の写真
池花南遺跡出土石器(県指定有形文化財)

鹿渡遺跡

発掘調査は昭和56年1月、昭和57年1月の2回に分けて行われました。その結果、縄文時代早期から中期にかけての縄文土器と竪穴住居跡1軒が確認されました。

主体となるのは、縄文時代早期後半の撚糸文土器(撚紐を丸棒の軸に巻き、原体を回転させた文様)と押型文土器(丸棒に文様を刻み、押しつけて回転させた文様)です。

この土器が出土した竪穴住居跡は、長軸5.0メートル、短軸4.5メートルの隅の丸い方形状をしています。住居中心部に炉と思われる掘り込みと、壁に沿った柱穴と思われる不規則な小穴が確認されます。この時期において発見例は少なく貴重な資料です。

撚糸文土器(第2庁舎展示中)の写真
撚糸文(よりいともん)土器(第2庁舎展示中)

撚糸文土器(第2庁舎展示中)の写真
撚糸文(よりいともん)土器(第2庁舎展示中)

押型文土器(第2庁舎展示中)の写真
押型文(おしがたもん)土器(第2庁舎展示中)

中山遺跡(めいわ)

中山遺跡は、昭和59年から2カ年に亘って発掘調査が行われました。比較的広い調査区から見つかった古墳時代中期の竪穴住居跡は5軒と少ないですが、台地緑辺部の狭い範囲に集中しているのが特徴です。

この遺跡で注目されるのは、5軒中2軒から出土した鍛冶関係遺物です。この2軒は鍛冶工房跡と考え、鍛冶炉・冷却水溜めピットなどの付随施設があり、高坏転用羽口や鍛造剥片・鍛冶滓・小鉄塊などの鍛冶関連遺物が出土しています。この時期の工房跡検出例は県内でも数少なく、市内では物井地区の小屋ノ内遺跡でも古墳時代中期の鍛冶工房跡が確認されています。

中山遺跡から出土した鉄塊を化学分析した結果、大陸産の鉄素材が搬入されている可能性が高いことが指摘され、5世紀前半という比較的早い時期に大陸産鉄素材がもたらされ、それを利用した鉄器作りの技術者が和良比地区と物井地区に存在していたことは、当時の鉄器作りの中心地である西日本との関係が窺えます。

中山遺跡の竪穴住居跡発掘調査の写真
中山遺跡の竪穴住居跡発掘調査

和良比遺跡

鹿島川の支流である小名木川上流域の標高29メートルほどの台地上に所在しています。発掘調査は昭和56年3月から平成2年度まで行われました。本遺跡は、本山・堀込・台畑・四ツ海道の5地区に分かれており、台地西側の本山地区に石器の集中が見られます。

その中で最も充実しているのが、本山地区2地点の総数2700点を数える石器群で、石材の8割が黒曜石で占めています。主体であるナイフ形石器は不純物を含まない良質な黒曜石で、石核や剥片が見られないことから、製品として搬入された可能性が高いと考えられます。一方、不純物を含んだ黒曜石には剥片も含まれていることから、本遺跡内で製作されたことが考えられます。

和良比遺跡では、7層(約2万6千年前)から3層(約1万3千年前)と長期にわたる石器群が見つかっていますが、全体的には小規模で、その中では4層(約1万8千年前)から3層中位(1万4千年前)にかけての時期が最も活動が盛んであったようです。

和良比遺跡(本山地区)発掘調査の写真
和良比遺跡(本山地区)発掘調査

  • 文:栗田則久(千葉県教育振興財団
  • 協力:千葉県教育振興財団
  • 写真・資料:千葉県教育振興財団・四街道市教育委員会・印旛郡市文化財センター
  • 権利者の許可なく転載等することは法律により禁じられています

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