更新日:2016年10月17日
四街道町・市史 全巻
本史料集1は、四街道市内所在の近世史料のうち、物井村「桜井家文書」の解説を付して収録したものです。
源頼朝の従兄弟にあたる清和源氏(河内源氏)支流の旭将軍「木曾義仲」の末裔と伝わる戦国武将「木曾伊予守義昌」は、武田信玄・織田信長・徳川家康らと供に戦国の乱世を駆け抜け、後北条氏・千葉氏滅亡後の天正18年(1590年)徳川家康関東転封に伴い、下総國海上郡へ嫡子の義利とともに入封しました。
その下総木曾氏一族の後裔と伝わる物井村名主「治郎兵衛」の文献初出は、慶長19年(1614年・千葉市「吉田家文書」)になります。物井村にはかつて朝日大明神(現在は天照皇大神社合祀)がありましたが、同家の氏神と考えられています。
物井村は慶長10年(1605年)から元禄11年(1698年)の93年間、徳川旗本「青山(天方)通直」を初代とする「天方氏」が領主となりました(四街道の旗本)。その後、佐倉藩戸田忠昌が領主となり、佐倉藩城付領として稲葉氏・松平氏・堀田氏と代替わり、明治維新を迎えました。
御用配符留「京六孫王社大破につき役僧巡行勧化」
幕末の文久3年(1863年)5月7日、佐倉藩代官荒野竜蔵が村々へ回した通達の御用配符留「京六孫王社大破につき役僧巡行勧化」は、江戸幕府寺社奉行勧化状持参の巡行役僧が、全国の清和源氏ゆかりの人々に「京六孫王社」修復の寄進を募った回状で、約150年前の幕末になってもなお「清和源氏」の影響力を全国に示す文書の一つです(「桜井家文書」御用配符留より)。
源氏三神社の一つ「京六孫王社」は、清和天皇第六皇子「貞純親王」の子「源經基(六孫王・清和源氏の祖)」を祀る神社で、経基の嫡子「源満仲」が創建したと伝えられています。その後、清和源氏は武門の名家として大いに栄え、源八幡太郎義家を始め、源頼朝・源義經・木曾義仲、足利氏・新田氏・武田氏・今川氏等、数々の名門を輩出しました。
写真:近世編史料集1より(権利者の許可なく転載等することは法律により禁じられています)
◇物井村の村況
発行:平成2年(1990年)5月
著者:相川 日出男
5,000円(税込)
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