更新日:2018年7月17日
市史研究誌「四街道の歴史」 9号 表紙
物井円福寺所蔵金銅製出羽三山宮棟札”物部村”
稲荷塚遺跡出土 墨書土器物川(千葉県教育振興財団所蔵)
大和王権において軍事部門を司り、強大な勢力を誇ったともいわれる古代豪族「物部氏」をキーワードとして、現在の四街道市域に比定されている下総国千葉郡物部郷・山梨郷と、坂東を征服し下総国匝瑳郡を中心にその勢力を誇った「物部匝瑳氏」を、「先代旧事本紀・続日本書紀」などの文献、また考古学的知見から論考します。
山梨氏が居城したと考えられる山梨城跡(妙見神社)
平家物語異本「源平闘諍録」を中心に、長い歴史の中に埋もれた四街道市域出身の鎌倉武士たちと源平合戦における活躍を、約八百年の時を超えて皆さまにご紹介いたします。
千葉介勝胤と四街道を繋ぐ山梨大隆寺(明治6年)
関東戦国時代において関八州にその名を馳せた千葉介勝胤は、私たち下総国の戦国大名として知られる歴史上の人物です。
その勝胤の墓が曹洞宗「勝胤寺(佐倉市)」と日蓮宗「長勝寺(足立区伊興)」に二つ伝わっています。本稿ではその時代における二人の千葉勝胤を調査・分析しました。
また関東戦国時代における関東足利氏を始めとする諸勢力の動向と四街道(物井城・和良比堀込城など)との関係をご紹介します。
臼井城主原胤貞が撃退した上杉謙信臼井城攻め
上総氏一族の原氏は、源頼朝・千葉氏に対して平家方の武士として治承・寿永の乱(源平合戦)に挑みました。その後、千葉宗家被官、筆頭として下総国内に勢力を拡大。戦国時代には四街道市域を含むこの臼井庄と千葉庄を中心に下総国・上総国に権勢を振いました。
その原氏の発祥から滅亡、歴代と一族末裔、また原氏と関係の深い古河公方・小弓公方・関東管領・上総国府木内氏・臼井氏、謙信臼井城攻めなどの検証をします。
四街道駅南方上空より(大正年間)
先年の東日本大震災では、千葉県内でも大きな被害を受けており、住民の関心はいやがおうでも高まらざるを得ません。
今回は、大正時代の関東大震災発生時、合併前の旧千代田村(四街道市北部)と旧旭村(四街道市南部)がどう対応したか、資料をもとに記します。
また避難の際、係りの深かった四街道停車場(後の四街道駅)について久邇宮殿下御成・裕仁親王殿下行啓・佐倉停車場などの写真資料をもとに検証します。
日色氏を中心に物井地区の方々(物井不動堂説明会)
故 日色義忠文化財審議委員の経歴・調査歴・著作などを追悼の意を表してご紹介いたします。
前市史編さん主任 樋口 誠太郎
今回は、市制施行三十周年記念誌「四街道の歴史」における各時代の概要をもとに、最近の研究成果をまとめ、掲載させていただきました。
最初に、古くからその関係が考えられてきた四街道市物井地区と古代律令制下の「物部郷」、その地名由来と古代豪族「物部氏」について西山太郎氏に御寄稿いただきました。
中盤には、四街道市の中世期について三編掲載。一つは源平合戦と四街道市の意外な関係、一つは戦国時代において当市周辺域を治めた臼井氏と千葉氏について、事務局よりわかり易く入門的に書かせていただきました。
三編目の柴田聡司氏の論考は、戦国時代後期に千葉氏執権職として千葉・臼井地域を中心に当市周辺域をも治め、小田原北条氏の他国衆としてその権勢を下総国内に奮った「原氏一族」の興亡について新たな研究・論説を御寄稿いただきました。柴田氏は約十八年に亘り東国中世史を独自に研究されており、今後の活躍が期待される若手研究家の一人です。
そして林良紀氏には、東日本大震災を契機に各地で過去の教訓が見直されている中、大正十二年(1923)関東大震災時の当市域における状況について調査・分析していただきました。
最後に、長い間、文化財審議会委員など当市においてご尽力くださった故・日色義忠氏のご功績を紹介し、併せて感謝の意を表する一文を掲載させていただきました。
また、今号より時代別に分け掲載、より読者の皆さまに活用していただけるよう努めてまいります。今後の市史研究誌「四街道の歴史」にご期待ください。
500円(税込)
教育委員会教育部 社会教育課
市史研究誌「四街道の歴史」第9号まで
電話:043-424-8934
FAX:043-424-8935