更新日:2024年4月1日
平安時代中頃(承平年間(931年から938年))に作られた辞書である「和名類従抄(わみょうるいじゅうしょう・わみょうるいじゅしょう)」によると、四街道市域は、「下総国千葉郡山梨郷(やまなしごう)」及び同郡「物部郷(もののべごう)」の二つの郷にまたがっていたようです。その地名は、現在の四街道市山梨と物井に残されています。
30周年記念誌「四街道の歴史」より
長岡地区入ノ台遺跡出土の紡錘車線刻「下総」
そのことを裏付ける貴重な文字資料が、成台中地区の土地区画整理に伴って発掘調査された四街道市成山に所在する「南作遺跡」から発見されました。
南作遺跡(四街道市成山地区)上空より
この遺跡は、奈良時代になって広大な開発が加えられて出現した大規模な集落で、竪穴住居跡149軒、掘立柱建物跡59棟など多くの遺構が見つかっています。
遺構配置図(奈良・平安時代以降)抜粋
一般的な土器類、有位官人(六位以下)が身に着けた青銅製帯金具と石帯などの他に、当時の高級陶器である三彩陶器や緑釉陶器・灰釉陶器などの貴重な資料も出土しており、有力者が居住していた可能性が高い遺跡となっています。
官人が身に着けた帯金具と石帯
南作遺跡5号住居跡
南作遺跡発掘調査の様子
南作遺跡で注目される資料に、5号住居跡から出土した「山梨」と書かれた9世紀中頃(平安時代初中期)の墨書土器が2点あります。
内、一点には「(山)梨郷長 坏 大生部直岡(麻)」と書かれていました。
5号住居跡より出土した墨書土器
これは、山梨郷の長官である大生部(壬生部)岡麻呂が使っていた坏と解釈されます。
この墨書土器は、約1,200年前から「山梨」という地名が存在していたこと、山梨郷の長官クラスの有力者が居住していたことを意味しています。
南作遺跡17号住居跡から出土した墨書土器(9世紀中頃・平安時代初中期)
物井地区小屋ノ内遺跡出土の墨書土器(9世紀中頃・平安時代初中期)
中台地区馬込No.1遺跡から出土した土師器の蓋(8世紀後半)
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